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アカデミック・ジャパニーズ・グループ(AJG)掲示板
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No.4 2009/07/01(水) 19:56:23
あきづき・やすお Website: 個人サイト
作文での辞書使用と「次の発達領域」 返信
こんにちは。というか,はじめましての あきづきで ございます。
冬に武蔵野大学であった研究会のときには「無職」と自己紹介したように おもいますが,4月から目白大学日本語教育センターというところで非常勤で はたらかせていただけることになり,そのほか,土曜日には秋葉原にある日本語学校でアルバイトさせていただいてます。

ふゆの会合のときは おかねがなくて はらえなかった会費を,学会の春季大会のときに堀井先生に おめにかかり,ようやく うけとっていただき,入会できたわけですが,アカデミック・ジャパニーズ・グループに いれてくださって,メーリングリストも配信されるようになって,そのうえ,このような掲示板の案内までいただき,感謝感激しております。

門倉先生,ジャーナルの案内,ありがとうございました。さっそく,いくつか よませていただきました。

それで,感想など どしどし かけということでしたので,いちばん,気になった論文について,1点だけ おもったことをかきたいと おもいます。

  『第二言語の作文に対する学習者の意識』 石毛順子

は,テーマが いま,自分が直面している問題と かさなったので,まっさきに よませていただきました。

 そこで,論文の最後のほう,23ページに,以下のように あったのですが,それについて興味が わきました。

===以下引用===============================================

レベルがあがり、語彙や文法の知識が増
えても、依然として自分が述べたいことを日本語で表すことに困難を感じ、それが作文意
欲の減退の要因となっている学習者がいることが示唆される。内言(心の中の言葉)を書
き言葉に変換するには、第一言語でさえ大きな困難が伴う(ヴィゴツキー,2003)。それ
が第一言語での内言を第二言語の書き言葉にする作業であれば、困難はさらに大きくなる
と思われる。第二言語で書き表したい内容を書くために、語彙と文法の発達が足りない部
分を補助するものとしては、教科書や辞書が考えられる。しかし、「自分の考えを日本語で表すことに困難を感じた時」の回答を見ていくと、「漢字がわからない時」、「辞書が使
えない時」という回答が得られていた。辞書は語彙の不足を補うとともに、漢字の知識の
不足を補う役割を担っているとも考えられ、辞書が使えないということも作文意欲を減退
させる要因となっていることが伺える。発達の最近接領域(1 )の考え方から捉えると、辞
書を使わずに作文を書くことは学習者の現在の発達水準のみで作文を書かせること、そし
て辞書を使って作文を書くことは学習者の発達の最近接領域までを学習者の書く力と認め
たうえで作文を書かせるということとも言え、「辞書が使えない」という状況に学習者を
おくことは教育上得策ではないといえるかもしれない。さらにKrashen(1981)は、学習
者は否定的な立場に置かれれば外国語の入力を拒絶する壁(フィルター)を築いてしまう
という情意フィルター仮説を主張し、フィルターを高くしてしまう要因として不安や自信
喪失、動機づけの欠如を上げている。この観点からも辞書使用を禁じ、漢字が書けない、
調べられないという不安を生じさせることは、学習者のフィルターを上げてしまう恐れが
あり、作文の学習に効果的ではないと考えられる。

===以上引用===============================================


 ここで辞書使用を禁止すべきでないと主張されているのは,おもに漢字をしらべるための辞書の使用を想定してのことのように よみとれます。(引用部分の最初のほうには,「語彙の不足を補う」という記述もありますが,あとのほうでは「辞書使用を禁じ、漢字が書けない、調べられないという不安を生じさせること」というふうに漢字のことだけが かかれています。)

 なるほど,漢字力による制約は,作文をするうえで学習者が うみだす日本語の内容面とはあまり関係のないところで生じる障壁のように おもえます。たまたま漢字で かけなかったというために 学習者が ある ことばを作文で つかうことを放棄してしまうとしたら,残念なことだと わたしも おもいました。
 
 ところで,わたしは これとは別に,作文で「辞書をつかわせない」ということを意識して おこなったことが あります。そして,わたし自身は そちらのほうこそが,ヴィゴツキーのいう「次の発達領域」(…『最近接発達領域』という訳語が気にいらないので,このように いうことにします…)の理論に あった おこないだと おもっていたのです。どうしてかというと,韓国で おしえていた あいだ,韓国の学習者たちは,母語の構造が日本語と にているために,辞書や自動翻訳をつかって,作文に つかいたい語を韓国語で かんがえ,そこで想定した語を辞書をひいて日本語に変換し,その結果,まったく自分が しらない語や,ときには,まちがえて同音異義語を翻訳したものなどをあてはめて作文することが あたりまえに おこなわれていたからです。ですから,わたしが作文の授業で いちばんに こころがけたことは,学習者の「てもちの日本語」で作文させるということでした。あえて韓国語からの語の翻訳を禁じることで,いいたい韓国語に相当する日本語をしらなくても,「てもちの日本語」で それを説明するという技術をみにつけてほしいと おもったし,それこそが,「てもち」の材料をつかって,それまでに できなかったこと,できるとは おもっていなかったことが できるという,まさに「次の発達領域」へ むかっての活動だと かんがえたわけです。

 たぶん,そこで わたしが かんがえていたことと,石毛順子先生が論文で おっしゃっていることとは矛盾しないのだと おもいます。石毛先生も,「辞書を禁じない」といっても自動翻訳を利用させようと おっしゃっているわけではないし,さきに母語で作文してしまい,それを辞書で逐語訳することを推奨されているわけではないでしょうから。ただ,経験上,韓国語母語話者の学習者のばあい,辞書で漢字をしらべさせるということは,むしろ韓国語と日本語の漢語の共通性に依存した作文を誘発することに なりかねず,やたらと漢語のおおい,学習者にとっては安易で,よまさせる日本語話者にとっては苦痛の おおい作文をうむ結果になりがちな気がします。おもいきって,かけない漢字は かなで かいてよいということに するとか,辞書使用に関しては,漢字をしらべるために日本の国語辞典だけは みても よいということにするなどの工夫が必要なのではないかと おもいます。

 それぞれの現場で体験してきていることが ちがうので,おなじテーマで おなじような目的意識をもっていたとしても,ある点について反対の見解をもってしまうことが あるかと おもいます。ここでの わたしのコメントも,そんなことではないかなと おもいつつ,こういうふうに おもう教師もいるということで意見をのべさせていただきました。それはそうと,いま,わたしが おしえているクラスでは,学生が なかなか たのしく かきたいというふうには なってくれなくて,なにが いけないのか思案しているところです。大学のレポートをかくつもりで,自由研究をして,レポートの かきかたに のっとって作文をしようと しているのですが,「自由研究なんか したくない」という反応が あります。こういうときに「テーマはなんでもいいよ」としか いわないのは教師の責任放棄なのかもしれません。やりたくなるようなテーマをいっしょになって発掘するのも教師の仕事なのかな,などと おもいつつ,一方で,むしろ「そんなことは先生の することではない。先生は まちがいをなおしてくれれば いいのに,なんで自由研究なんか やらせるんだ」などと学生から おもわれているのではないかと不安です。
 
No.9 2009/07/06(月) 13:19:27
石毛順子  
Re:作文での辞書使用と「次の発達領域」 返信
コメントありがとうございました。
今後の調査の参考にさせていただきます。
 
No.5 (修正済) 2009/07/03(金) 16:32:34
嶋田和子  
第18回AJG研究会のご報告 返信
第18回AJG研究会は、6月20日に東京国際大学の早稲田サテライト校舎にて行なわれました。大学や日本語学校の先生方、初等中等教育の先生方、また大学院生などさまざまな方にご参加いただきました(参加者数=52名)。

研究会に先立ち行われた総会では、門倉代表から「AJジャーナルWeb版」刊行の報告、そして今後、年1回発行していくことが報告されました。やっと誕生したAJジャーナルです。みんなで知恵・力を出し合って、他にはないひと味違うジャーナルにしていきたいと思います。

研究報告は山本富美子講師(武蔵野大学)による「大学・企業が求める口頭表現力とその教え方」です。「抽象と具体」の2つのバランスを保つことの重要性、さらには「抽象と具体」の間を往還する教え方に関して、『国境を越えて』を使った教育実践例を示しながら分かりやすくお話しくださいました。

また、山本講師はデールの「経験の円錐」のさまざまな改変版を取り上げ、いかにクリティカルな物の見方が重要かについて話されました。「聞いたことは10%、見たことは15%」などという数字を安易に取り上げてしまっている一人として、大いに反省させられました。

 
「見る」と「読む」はどう比較するのか、人と話しあうとき「聞く」と「言う」は同時進行ではないか、
本を「読む」よりその講義を「聞く」ほうが本当に講義に残るのか・・・・・・(山本氏のレジュメp.3より引用)



会場からは「もっと実践例を聞きたかった」「40分という時間設定は短すぎる」などの声が聞かれました。今回は短時間での研究報告でしたが、また機会を作って「『具体』・『抽象』のバランスがとれた口頭表現力をはぐくむ試み」というタイトルで実践報告をしていただきたいと思っています。

休憩を挟んで筑田周一講師による「講演とワークショップ」が始まりました。タイトルは「カンファランスを中心としたライティング・ワークショップの試み」です。女子聖学院高校の国語科教師である筑田講師は、「高校生を自立した書き手に育てるための実践」について詳しく述べられ、その実践における「狙い・重視したこと・うまく行かなかったこと」などさまざまな角度からお話しくださいました。豊富な高校生の作品を見せながらの実践報告は、日本語教育にも取り入れたくなるようなものが幾つも見られました。

ミニ・レッスンは「ハガキの書き方」です。「心の中にいる誰かに向けてハガキを書く」というワークでしたが、参加者の受け止め方もさまざまだったようです。中にはグループで回し読みをして、コメントを付けるという作業には抵抗感がある参加者も・・・・・・。書いたハガキをグループ内で読み合うことで、他者に自分の「思い」が伝わることの難しさを感じ取った人、同じワークでも実に多様であることを実感した人、人により、グループにより思いはさまざまでしたが、協働を通して「読む・書く・晒す」ことの大切さを体験することができたワークショップでした。

皆さま、どうぞ「こんなテーマで話を聞きたい」「こんなワークショップをやりたい」という思いをAJグループの幹事まで(このコミュニティ宛てでも、MLにでも結構です)お寄せください。お待ちしています!!
では皆さま、次回11月7日にまたお会いしましょう。


 
No.3 2009/07/01(水) 18:25:43
門倉正美  
日本留学試験「日本語」改定案について 返信
日本留学試験の「日本語」科目の改定案が、JASSOのHPに5月中旬くらいから(?)、突然公表されました。その内容については、以下のサイトをご覧ください。
http://www.jasso.go.jp/eju/eju_nihongo_kaiteian.html
読解の比重をあげる、聴解・聴読解の時間を短くする、記述の点数をあげる等、改定の内容そのものについては、同意できる部分も多い。私は、AJジャーナルに投稿した原稿の最終的な直しの時期にこの改定公表を知り、急遽、昨年6月のAJG研究会の折りに、発表した「日本留学試験日本語問題改革私案」の部分に補充して、この改定案についてのコメントを加えました。この欄で、そのコメントを繰り返すのは、長くなるので、関心をおもちの方は、ぜひAJジャーナルのその部分(門倉論文の終わりのほう)をご参照ください。
さしあたって、この場でみなさんにアピールしたいことは次の2点です。
1.JASSOは、日本留学試験「日本語」科目の改定案について、日本語教育学会等の場で公式に説明するべきである、という点です。(この点については、そうした意見が出た後、急遽、秋季大会に説明の場をつくってほしいとの要望が、JASSOから大会委員会になされたそうです。)
2.改定案にたいして、意見が求められているので、みなさんも、
この際、日本留学試験の「日本語」科目の問題を少しでも良くするために、どしどし意見・コメントをJASSO宛てに出してください。宛先は、次の通りです。 eju@jasso.go.jp
(以上)

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