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俺達が本当に欲しいのは、あんた(会社)がくれる物じゃない。
水の中を歩くような、体中にまとわりつく熱い感覚。
忙しい毎日の中で、忘れてしまいそうな あの感覚を、
何時でも取り戻せるように。

Dreamer401 管理人 401kun

 
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No.308 2010/03/05(金) 23:00:10
401kun  
禁煙 ・・・・・  節煙
病院や百貨店、飲食店、ホテルなど多くの人々が利用する
公共的場所は原則、「全面禁煙」にすることを求める通知を、
厚生労働省が全国の自治体に出したそうです。

公共的な場所での全面喫煙禁止の動きがありまして
・・・・・
・・・・・
・・・・・

401が働いている場所は・・・・・・

学校って 小さくても オウヤケの場所だそうで
対応はそれぞれの施設に委ねられているのですが
季節は 学年末
進級 卒業判定会議とか  おえらい先生の集まる会議が
過日ありまして・・・・・
とぉっても 偉い先生が  全面禁煙にしようと おっしゃいました。

・・・・・  先週末の事です。

今週 ならば
勤務先では タバコを吸うのを止めてみようかと思った次第

朝 出勤前に 1本吸い
じぃぃぃぃと ガマン
夕刻の 3時ごろが辛いと感じつつ
5時前は 落ち着かなくなり
退社後 バイク屋に直行して やっと2本目のタバコ
クラクラするのが気持ち良く感じます。
真夜中 寝る前に 2本吸い 合計一日5本
こんな生活を 1週間してみました。

完全禁煙なんて する気はありません
真夜中 寝る前に クラクラしながらタバコ吸うのが気持ち良く
一日5本 が なかなか良いぞと 思い始めました


 
No.306 2010/01/20(水) 16:21:07
匿名希望  
精神が朽ちている若者では困る
精神が朽ちている若者では困る
配信元:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/344556/
2010/01/11 07:38


【正論】 ≪大学のタテカンもなくなり≫

 機会あってひさしぶりに京都大学を訪ねた。
1960年代後半、学生運動の激しいころ、バリケードを築き、
いろんなセクトの学生たちが入り乱れて窓ガラスを破り、
流血の激戦をくりかえした時計台のある本部ビルはみごとに改装され、
いまでは瀟洒(しょうしゃ)なフレンチ・レストランが営業している。
まさしく滄桑(そうそう)の変、スズメ変じてハマグリとなるのたとえ。
わたしは心境大いに複雑であった。


記事本文の続き 変化したのは本部の建物だけではない。
京都在住の20年間、大学の石垣いっぱいに立てられていた看板、
俗にいうタテカンがひとつもなくなっていたのにもびっくり。
安保粉砕、授業料値上げ反対、成田空港阻止、組合弾圧糾弾、その他もろもろ、
学生たちは闘争のスローガンを大きな文字で書きつづけていた。

 京大はとくに学生運動がさかんだったが、
日本国中どこの大学にいってもタテカンがあった。
タテカンのない大学なんてワサビのない寿司(すし)のようなもので、
どことなく淋(さび)しく、またおかしな感じがした。
それがキレイさっぱりと消滅したのである。

 タテカンの消滅というのは学生運動の消滅ということである。
いつ消えたのかといえば、さきほどふれた60年代の「紛争」が
機動隊によって制圧されてからであろう。
その余波はこれまたいまや伝説となった浅間山荘事件までつづいたが、
その後のことはほとんど耳にしない。
わたしなどの世代は1950年代の全学連時代から
学生運動を直接間接に体験して育ってきたから、まことに夢のような歳月であった。

 ≪ネット・携帯で不満解消?≫

 その「紛争世代」つまり当時、石を投げたり鉄パイプで暴れまわった学生、
院生諸君もいまは還暦をすぎたいいオジイサン、オバアサンになって、
孫の自慢なんかしている。あの世代が「学生運動」の最後だったのだろう。

 学生にかぎらず、いつの時代でも若い世代というのは
既成の価値や制度にもっとも敏感に反応し、批判し、ときには攻撃的になるものだ。
それは若者にとって本能にちかいものであり、
またそうした元気を社会はひそかに期待してきたのである。
多少は暴れてもいい。
守旧派の年寄りに反抗するのが若者の役割なのだ。
古今東西をつうじて革命や改革の担い手になったのはつねに若者であった。
それが「学生運動」の根底にあった。

 それがなくなった、ということは
とりもなおさず、現代の若者に批判精神、
あるいは覇気がなくなった、ということなのであろう。
じっさい、いまほうぼうの大学にでかけてみると、
まことに平穏無事。学生たちはまるで羊の群れみたい。
批判どころか気味わるいほど静かである。
「若者文化」といってもそれはファッション、流行語のたぐいであって、
けっして「思想」や社会的な「運動」につながるものではなさそうだ。

 もちろん不平、不満、疑問がないわけではあるまい。
しかし、それが「運動」という目にみえる形態をとらないのは
インターネット、携帯電話などの電気通信技術によるものだ、
という説をきいてなるほど、とおもった。
腹が立っても、それを口にせず親指一本で画面に打ち込んで送信する。
読者の有無は問うところではない。
いうなれば「ひとりごと」である。
古人いわく「物いわざるは腹ふくるるわざ」。
キーを打って、送信すればそれだけで気が晴れる。

 ≪芸能人・スポーツ選手に偶像≫

 じっさい、ネットの世界をちょっとのぞいてみると
何百万ものブログの書き手たちは世間を憎み、恨み、権力者に罵詈讒謗(ばりざんぼう)を
浴びせ、ときには「くたばれ!」「死ね!」などと叫んでいる。
それほどに不満は鬱積(うっせき)し、怨念(おんねん)の根は深いのだが
すべては個人の「ひとりごと」になって雲散霧消してゆく。
いうなればネットでの「発言」は安全弁であり「ガス抜き」なのである。
その結果社会的な力にはならない。

 そんな社会参加などには目もくれず、ひたすらゲームその他の「仮想現実」のなかに
ひとり浸りきってホンモノの世界と向き合うことを知らない若者たちもいる。
あるいは偶像化された10代、20代の芸能人、スポーツ選手に「若者文化」を
代弁させて満足しているようなところもある。

 日本だけではない。この傾向は世界的な規模で進行してきているらしい。
仄聞(そくぶん)するところではフランス学生運動の激戦地カルティエラタンは、
いまでは「戦跡」として観光コースにはいっているそうな。
我が国の学生運動諸派もどうやら健在らしいが、
デモもストも、ましてや武闘も絶えて耳にしたことがない。
いまの学生たちはモヤモヤを抱えながらそれを社会的に表現することなく
黙ったまま4年間を大学ですごし、卒業してゆく。
はたちになるかならないか、という若さでその精神はもう朽ちているかのようなのである。


 大学生をふくめて若者に元気がなければ社会ぜんたいの元気がなくなる。
ちょっと不気味ではないか。(社会学者・加藤秀俊)

 
No.305 2010/01/18(月) 00:17:20
401kun  
今年
本日 長く入院していました セカンド車両を持ち帰りました。
長期間にわたり お店の一角を占拠していましたことをお許しくださいませ。


んで セカンド車両。
ごくごく 普通の縦型エンジンです。
もう少し ハイギヤードにしても良いかなとも思いますが
普通に乗るのならば、この程度で十分ではないかと思います。

セカンド車両を持ち帰ったついでに 今年初めてXEに乗りました。
とても軽く回る感覚に 満足しています。
しかし  問題があることは 気付いています。
久しぶりに乗ると その問題点が 少しひどくなっているような気がします。
とても軽く回ると 書きましたが、絶好調の頃とはずいぶん違います。
回り難くなっていることは 明らかです。

一度も 文字として表記していませんでしたが、詳しい方は薄々察知しておられるでしょう
そうです、 クランクにガタがあるのです。
そのガタが大きくなっているのを感じます。
今年の課題にしようと思います。
 
No.304 2010/01/10(日) 23:56:50
匿名希望  
能力を使わず、体力をすり減らす
「残業の問題は『能力を使わず、体力をすり減らす』ことにある!」(2008/02/04)

吉越 浩一郎氏  吉越事務所代表
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/yoshikoshi.cfm?i=20080122cv000cv&p=1  より
 「MOTTAINAI」のように日本独特の美徳が世界共通語になるのは嬉しいことですが、その半面あまり喜べない例もあります。数年前から国際語になってしまったのが「KAROSHI」=「過労死」です。かつての「HARAKIRI(腹切り)」同様、過労死が日本人独特の死に方として国際社会に認知されるのは、極めて残念なことです。他国では切腹と同じくらい、“働き過ぎが原因で人が死ぬ”ことが奇異に感じられるのかもしれません。日本では長時間労働を労使ともにあまり疑問に感じることなく、従ってその結果として、「残業が当たり前」の労働環境が浸透してしまっていますが、この問題に手をつけることなく、増加する過労死の問題を解決しようとしても、無理があるのは自明の理といえます。


頭の使いすぎで死ぬ人はいない


 そもそも過労死はなぜ起こるのでしょうか。それは多くの日本企業でなかなか減少しない残業が、体力をどんどんすり減らすことと関係しているからです。無理な残業が続けば、誰だって体力が落ちてきます。となれば、週末はグッタリして体力を回復させることだけに終始してしまいますが、2日間でたまった疲れが完全に解消されることは難しく、日曜の夕方には、多くの人がいわゆる「サザエさん症候群」に陥ってしまうのです。どういうことかというと、趣味や家族との触れ合いなど、仕事以外のことで充実した週末を過ごし、気分転換を図るのとは程遠く、気力が充実するまでもなく、後ろ向きの気持ちのまま次の週に突入し、また残業で体力をすり減らしていくわけです。これではいつまでたっても、個人としても、組織としても、効率的な仕事の実現などあり得ませんし、過労死も減らないでしょう。



 仕事をする力は右図の通り、「能力」「気力・意力・やる気」「体力」の3階層からなるピラミッドで成り立っていると考えます。最上階にある「能力」や中間層の「気力・意力・やる気」は、体力をベースに成り立っているため、体力が消耗すれば、質の高い仕事はできません。ですから仕事が終わらないからといって、遅くまで残業し、根性と気合いで片付けようにも、体力をすり減らしては十分な能力を発揮できるはずがないのです。そればかりか、さらに体力を無くしていくことになるので、残業は逆効果なのです。


 外国のエグゼクティブたちが、どうしてあれほどまで熱心にジムに通い、体力強化に努めるかと言えば、そこまでやって初めて気力が充実し、就業時間における密度の濃い仕事、すなわち仕事のスピードを上げることができるからなのです。そのためにはワーキングタイムを決して漫然と過ごすことなく、常に頭をフル回転し続けて、その力を駆使する覚悟が必要になります。頭を使いすぎて過労死になった例を私は聞いたことがありませんが、どなたかご存知でしょうか?

 手前味噌になりますが、社長を務めた前の会社で私は、時間をかけて残業を完全撤廃するとともに、その間に管理職の長期休暇取得を義務付けたり、本社オフィスの人員数を減らしたりしましたが、売上高を5倍にまで拡大させました。定められた就業時間内に、社員に徹底的に「頭を使う」習慣を身につけさせるための制度を導入するなどして、現実に仕事の密度を濃くしていくことは、やり方次第で十分可能だということを証明し実践したわけです。


 本来「仕事」の対義語は「休み」ではなく、「遊び」であるべきなのです。そのためには体力が消耗していないことが前提であり、平日の夜のオフタイムや週末は「遊び」を充実させるべきです。「遊び」で気分転換が図れればこそ、翌日の「仕事」も前向きに取り組んでいけるでしょう。より長いスパンで考えて、若いうちから「遊び」を軽視せず、人生を楽しむ意識を持っていれば、定年退職後に「家に居場所がない」、「打ち込める趣味もない」、「会社を離れると友人もいない」などということには決してなりません。残業のように、頭をフル回転させることなく、体力に任せた仕事漬けの状態で、疲れ切っていることが問題なのです。いい加減日本人も「平日は限界まで働いて、週末はその疲れを取るために休む」という、実際はあまり機能していない幻想から覚めるべきです。本当に豊かな人生とは何か。日本人は問わなければいけない時期に来ていると思います。


 そもそも「仕事」は、あくまでお金を稼ぐため、人生を楽しむためのツールです。言い換えれば人生における「ゲーム」のひとつにすぎません。その「ゲーム」である仕事が目的化して、のめり込んでしまうから、ヘトヘトになってしまうのです。大事なことは、ゲームを楽しみ、ゲームに勝つこと。そのくらいの冷めた目が必要だと思います。


 
No.303 2010/01/10(日) 23:42:07
匿名希望  
世界の奥行
 世界の奥行   田坂広志氏 多摩大学大学院教授
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/tasaka.cfm?i=20091105df000df  より


 右目を閉じて世界を見る。

 左目を閉じて世界を見る。

 そのとき、
 右目で見える世界と
 左目で見える世界が、
 違った形であることに気がつきます。
 そして、
 違った色であることに気がつきます。

 わずか数センチ離れただけの
 右目と左目でさえ、
 見えている世界は、違う。

 そうであるならば、
 自分から見えている世界と
 他人から見えている世界は
 どれほど違うのでしょうか。

 その違いの大きさを思うとき、我々は、
 そこに一つの逆説があることに、気がつきます。


 右目と左目の世界が違うからこそ、
 我々は、世界の奥行を知ることができる。

 そして

 自分と他人の世界が違うからこそ、
 我々は、世界の深みを知ることができる。


 その逆説に、気がつくのです。



 2009年12月7日


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